シリコン製のボールペン

腐れ作家の芥話

ユニットライブは諸刃の剣

ありがたい話で沢山のライブをやらせて頂いている訳ですが、月1で同期達とやっている「若気の至り」というライブがございます。

 

現在、14組の芸人達と毎月ネタと企画2本を行っている(自分で言うのもなんですが)結構勢いのあるライブではございますが、2019年になりメンバー入れ替えをお行い、それまで出演していた「あんかけサーロイン」というコンビを卒業とし、代わりに「カワセミ」「ゼロカラン」というコンビを加入させました。

 

特に前もっての告知などもしなかったから、お客様の中には「なんかメンバーと揉め事でもあったの?」「あんかけサーロインのこと嫌いなの?」「この独裁者!」「職権乱用だ!」「キモ!」なんて思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、「あんかけサーロイン」とは養成所の同期で並みに仲良しだし、今でも仲は悪くないし、なんだったらこのブログを今打っているパソコンもあんかけの前田君に買ってもらったようなもんだし、その借金をどうすれば1日でも滞納できるかと試行錯誤してるくらいには仲はいいです。

 

単純に今の若気の至りの最低基準にネタなどが達していなかったというのが真相です。

大阪の頃から「ユニットライブ」というものはやっていました。気の合う芸人達とネタやら企画やらをやれるもんで楽しいし大好きなんですが、ユニットライブの最大の弱点として「慣れ」というものがあるんです。

 

毎月同じメンバーでやってるわけですから、自然と仲良くもなってくるし関係性もよくなってきます。しかしそれが行き過ぎると「慣れ」になってしまい、いずれ「慣れ合い」になってしまいます。大阪でも毎月開催で全13回のユニットライブを行っていましたが、やはりその傾向がありました。「毎月このライブがあるのは当たり前」という感じになってしまうんでしょうね。そういう空気間がいいという方も多いでしょうが、我々のような右も左もわからない1年目はそんなことしてる場合じゃないですし、お笑い筋肉も育っていない状態でそういうことをしてしまうと、すぐにぜい肉ダルダルのお笑い生活習慣病になってしまいます(はぁ?)。

 

若気の至りも昨年8月くらいにそういう兆候がありまして、「このままじゃいかんなぁ」と思い、年末のライブでメンバー入れ替えするという告知を行い、1月に至ります。ファンの中には「前のわちゃわちゃした感じが好きだったな~」という方もいらっしゃいましたが、「あ、わちゃわちゃしてると思われてたかぁ~」と反省しました。やっぱりあのままではダメでしたね。

 

若気の至りは「目立つ」という明確なテーマを持って開催しているライブです。楽しいことは1番ですがそれだけではお笑いクソデブになってしまいます(はぁ?)。

楽しい空間を出演者の皆さんには力づくで勝ち取ってもらいたいのです。全員が仲間であってライバルである。もちろん自分も含めてです。誰よりも活躍することを目論見ながらも、1つのライブを一丸となって作っていく。そうすることで若気の至りというライブはどんどん成長し面白くなっていくのだと思います。

 

新メンバーを加えて行った1月。やはりメンバー入れ替えは間違ってなかったと思います。それぞれが必死に前の出方を考え、よい部分・悪い部分どちらもありましたが、全て込みで得るものはあったと思います。

次は半年後の6月頃にメンバー変更を再度考えようと思います。新メンバーがなじもうが不協和音になろうがライブとしてはいい経験です。これからどんどんと成長していくお笑い胎児・若気の至り。ぜひ1度お越しになってはいかがでしょうか?

1人の諭吉より10人の英世

本日はバイトのお給料日

作家という仕事をしながら殆どバイトでの給料がメインというのは屈辱的なことではありますが、そうでもしないと今の僕の給与は麻布あたりに住む小学生のお小遣いくらいしかないので飢え死に街道真っしぐらなので、本業で売れる日を夢見て警備棒を振り回す毎日でございます。

頂いた給与も限られているので無駄遣いはできませんが、たらふく漫画や小説など本を買おうと企んでおります。

最近本当にインプットができていない。専ら見ているのはガキの時に大好きだった「ペーパーマリオRPG」の実況どうがばかり。大の大人がレアバッチのありかばっかりインプットしている場合ではありません。うっすら脳が腐り始めているのがわかります。バナナだったら食べ頃だと思います。

元来飽き性な性格の僕ですので、背伸びして難しい本なんか買っても、刹那で部屋の風景の一部に本がなってしまうのが目に見えているので、好きな漫画やら比較的好きな作家の小説でも読もうと思います。

今読みたいのは「ジョジョ」ですかね。「キン肉マン」も読んで見たいな。あ、「実話ナックルズ」も毎月欲しいなぁ。芸能人のサックスの話と薬の話いっぱい知りたいなぁ。

とりあえず英世さんをポッケに忍ばせて貧民層の国会図書館ブックオフ」に行ってまいります。

副流煙に導かれ、行きつく先は血反吐の地獄

禁煙ブームが日を増すごとに高まっているこのご時世に、真っ向から反発するチェゲバラ的精神で喫煙者をやらせてもらっている山田ボールペンでございます。

 

吸い始めたのは忘れもしない2017年3月9日の夜の新宿のカプセルホテルにてでございまして、あるたった1人の男がとった行動により私は毎月1万円ほどを毒に返る生活を送っております。

 

大学時代は、タバコとは距離を取って生活させていただいており、むしろ嫌いよりだった気がします。そんな私が今や毎日ニコチンと肩を組んで生活するようになっているのですから、人間というものはわからないものです。

 

「タバコの何がそんなにいいの?」と聞かれれば、屍のように硬直して黙るしかなく、自分でもなぜ吸っているのかはあまり理解はしていません。

「美味しい」とか「気分転換になる」とか正直あまりピンとこないんですよね。

というよりも、何となく自分の中でのテレビマンや作家・芸人さんのイメージがバカバカ煙草を吸って、喫煙所で最近かいた女の話をしているイメージで、そんな業界人に憧れて見様見真似で煙草を吸い続けている気がします。

 

だから喫煙所なんかで私が「この銘柄がうまいねやぁ~」とか言うてても、味の良し悪しなんて1ミリも理解してないと思ってください。つまり私は煙草を吸っているんじゃないんです。煙草を吸うという行為に酔いしれているだけなんです。煙草にとりついているイメージを吸っているんです。むしろ私は煙草に吸われているんです!

 

 

ね、意味わからないでしょ。これも全てタールやニコチンの過剰摂取による弊害だと思います。全部煙草のせいです。

まぁ結局何が言いたいかというと、煙草なんて吸わない方がいいってことです。

音響ブースはさながら子宮なり

現在の自分のメインの収入源となっている仕事が、お笑いライブの運営・お手伝いでございまして、不定期で開催されるものを含めたら大体月の半分くらいはライブ関係の仕事をさせていただいております。

 

その中でも自分が主催させていただいていたりと根幹を担わせてもらっているライブが5本あります。「漫才Saaaan!!!」「シンプル2000シリーズ THEコント」「マサラタウン」「若気の至り」「UPs大喜利ライブ」、この5本が割と下地から色々考えてやらせてもろうてるライブでございます。どのライブも出演していただいている芸人さん達のおかげで非常に面白いライブとなっており、毎度大変盛り上がっております。ただただ、出演者様やスタッフ様、そしてお客様には感謝感謝大感謝祭りでございます。

 

さて、この5本のライブですがそれぞれ自分のライブに向ける取り組み方が違うといいますか(勿論、ライブによって手を抜いたりしてるわけではありません)自分の中でのライブへの関わり方が少し異なっております。

マサラタウン」は単純に自分がたくさんの芸人さんのネタを観たいという気持ちから始めました。ちょくちょくライブへ足を運ぶこともありますが、各事務所の1年目の方などまだまだ知らない芸人さんはたくさんいらっしゃいますので、そういう意味でもこのライブは、ちょっと自分の中で観客的な視点が強いような気がします。

「漫才Saaaan!!!」や「THEコント」も感覚は似ています。この2つのライブでは毎回1本「課題ネタ」を新しく作ってきてもらってまして、仲のいい芸人さん達の普段見れないような新ネタが産声を上げる瞬間に立ち会いたいなという思いからそういった構成にしてるので、この2本も自分の好奇心的な部分が大きいライブですね。

そこいくと「若気の至り」はかなり感覚が違います。このライブは芸人さんのネタと自分の考えた企画を2本芸人さん達にやってもらうという構成になっておりまして、自分に考えた企画がお客様にウケるか?芸人さんにウケるか?と毎回ハラハラしてることから、このライブは主催者という感覚よりも自分も「出演者」である感覚の強いライブです。企画を舞台上でカタチにしてくれるのは芸人さんですが、自分も作家として入っている以上、企画の下地にある面白さや企画内のボケしろ、またお題やテーマそのものの面白さは毎回かなり真剣に考えております。だからお題を出した時点でお客様や芸人さんから笑いが起きると滅茶苦茶嬉しいし、反応がいまいちだったりするとちゃんとイライラしたりします。

「UPs大喜利」も同じです。このライブには大喜利のお題を提供しておりますが、お題の中に数個「お題を出しただけで笑いが起きる」ようなお題自体がボケになっているお題を混ぜてまして、それがウケるとかなりエクスタシーを感じることができます。

 

ただたまにやりすぎてしまうことがありまして、やはり舞台上でカタチにしてくれるのは芸人さんですから、そこを無視して自分のエゴばかりおしつけていると大体失敗します。一時期、自分の考える企画が芸人さん達から評判がよかったことから、調子に乗って自分のやりたいこと、面白いと思うことばかりを前面に押し出し過ぎて失敗しまくったこともあります。あくまで自分は作家、つまり裏方なので裏方の表情が前面に出まくるライブは良くないですね。企画の各所にうっすら自分のエッセンスが散らばっていて、一部の人が「あ~これ山田の企画だなぁ~」とほんのり思ってもらえるのが1番かなと思います。

 

どのライブも共通しているのは、出演している芸人さんに楽しんでほしい!笑顔でいてほしい!という気持ちです。自分が作家を志したのも、自分が考えた企画で芸人さん達が楽しそうに企画に取り組んでくれている様子が本当に嬉しくて、芸人さん達がずっと笑いあっている現場を作りたいなと思うようになったのがきっかけでした。この気持ちは忘れたくないものです。「山田の考えるライブや企画は本間に楽しいな」と思ってもらえるよう今後とも精進していきたいと思います。

 

最後に今後やりたいなと思うライブ案をいくつか挙げて締めさせていただきます。

・袖から見た景色

芸人さんをネタをやっている芸人さんの後ろに並んで座ってネタをみてもらって、普段のネタ前の袖や楽屋で他の芸人さんのネタを見て笑っている感じを舞台上で表現するライブ

・数珠繋ぎライブ

自分が面白いと思う芸人さんを1組お呼びし、次はその方が面白いと思う1組をお呼びし、またその組が面白いと思う1組を・・・という感じで数珠つなぎで出演者を集めていく企画。芸人さんが面白いと思う芸人さんが誰なのか?最終的にどんな人が来るのかを検証していくライブ

・〇〇限定ライブ

20代の男性限定、小学生限定。、やくざ限定など年代・性別・職業などを限定してお客様を集め、この層にはこんなネタがウケるのかというのを検証していく企画。多分実現は難しい

 

こんな感じです。いつかやるかもしれないですし、やらないかもです。

それでは

ベランダの隅に巣くうゴミムシ

「すごいネガティブでしょ。どうせ今日も家帰って落ち込むんでしょ?」

自宅への帰り道の電車にて知人に言われた一言。24年生きてきましたが、ここまでド直球で確信をつく一言を言われたのは初めてかもしれません。的を射すぎて隣に立っていた酔っ払いのおっさんやバイト終わりの大学生、果ては乗っていた東京メトロまでもを突き抜けて、弾道ミサイルの如く東の空へと勢いよく飛んで行ったことかと思います。

 

とにかく僕は物事をとにかく「悪い方向」に考えてしまう性格でして、毎日家を出る際には「今日はこんな死に方をするんじゃないだろうか?」と自分の死に方のネタ出しを頭の中でしてしまっています。とにかく余計なことを「考えすぎてしまう」性格のようで、会話の中のちょっとした発言や、何気ない表情を凄く悪い方向に考えてしまい、家に帰って勝手に落ち込んでいる毎日です。そのくせ、大事なことには気が回らなくて粗相をしてしまったり、失礼なことを言ってしまったりと・・・そしてまた家に帰って勝手に落ち込む。ネガティブの永久機関のような人間です。これを上手くエネルギーに変換できる技術を生み出せばノーベル賞くらい取れそうな気もします。

 

そんな時はいつも自宅のベランダの隅に行って肺がこそぎ取れるほどタバコを吸いまくるのが日課です。うちのベランダは取り込み忘れて放置された同居人たちの衣服などが散乱するお手軽スラム街のような汚れた場所でして、そこに行くと普段の生活から乖離してとことんまで落ち切った気持ちになれるので、「俺はお前たちとは違うんや!夢も未来もある若者なんや!」とゴミ達に向かって虚勢を張ってまた明日からも頑張ろうという気持ちになれるのです。

 

そんなベランダに最近頻繁にゴキちゃんが姿を見せるようになりました。同居人たちはまだ1度も見たことがないらしく、僕にだけ姿を見せに来てくれてるのかと思うと、ほんのり嬉しい気持ちになりながらも、クラスで全く目立たず友達もいない根暗が、同じような同類を見つけてあたかも友達であるかのような空気を醸し出して行く先々に着いて来ようとするのと同じ気分になり、「あほか!俺は友達もおんねん!お前みたいな気持ち悪い奴と一緒にすんな!」と叩き潰しています。それでもゴキちゃんは姿を頻繁に表します。恐らく僕はゴキブリホイホイの才能があるようです。仕事に困ったらアース製薬にでも就職しよかな思います。

 

まぁでも、滅茶苦茶ネガティブかと言うとそこまででもない思うんですよね。結構楽観的ですし、考えすぎるといいつつ抜けてるとこありまくりですし、不利な状況の時だけネガティブを盾にしてやりすごしてる感じですね。「都合のいいネガティブ」です。

正直、治るとも思えないです。「三つ子の魂百まで」とも言いますし、これからも僕は「ネガティブ」をうまく使いこなして生きていくことでしょう。こうなったら開き直ってやろうと思います。・・あ、少しポジティブになれたかも。

こんな感じでこれからもたくさんの人に迷惑かけながら生きていくと思いますので、ネガティブ共々よろしくお願い致します。

 

ブログを書き終えたら今夜も定位置のベランダの隅でニコチンとタールの土石流に肺を侵されながら、星1つない夜空を見上げることでしょう。どす黒い夜空には、あの夜知人に射抜かれたあの言葉がハレー彗星のように放射を描きながら東の空へと消えていくのでしょう。

「モドキ」の気持ち、考えたことあんのかよ

この世は全て「早い者勝ち」である。

 

作家として番組の企画を考えていても

「これ昔〇〇で似たものやってたな~」

なんてことは日常茶飯事である。

 

これは後に生まれてきたものが背負い続ける宿命であり

そこでウダウダ言って歩みを止めるわけにもいかない。

なんとか脳髄を穿り回して新しいものを考えるしかない。

 

しかし、この世には完全に思考を停止され、

それにより弊害を受けているものがごまんと存在する。

 

それの最たるものが「もどき」である。

 

「カマキリモドキ」やら「ナナフシモドキ」など

完全に既存のものありきで名前を付けられた可哀そうな奴らだ。

 

新種が見つかった際に

「これ〇〇に似てるけど、生物学的には別モンやしな~。よし、もどきにしよう!」

的な軽いノリで決まったに違いない。

 

こんな名前をつけられてはアイデンティティもへったくれもない。

発見者の怠慢によって一生「〇〇の二番煎じ」という烙印を張られたわけである。

たまったもんじゃない。

 

人間世界で例えるなら、次男が生まれた際に名前を決めるのが面倒だからと

「たかしモドキ」

とつけられているようなものである。

 

「林」という苗字の人が

「森モドキ」

という苗字で呼ばれるようなものである。

なんとも哀れな話だ。

 

もっと言えば我々黄色人種

「白人モドキ」

になるわけだし、人間なんて

「サルモドキ」

なのである。

 

つまるところ、この世の大概のものは

何かの「モドキ」のはずだ。

 

それが誰かの手抜きや怠慢のせいで

「モドキ」

という最低な称号を与えられているのだ。

 

思考の歩みを止めてはいけない。

ほんの軽い気持ちでの思考停止が、一族まるごとに多大な迷惑をかけてしまうのだ。

 

考え続けなくてはいけない。妥協してはいけない。

山のように積み重なった「モドキ」達の屍の上に立ち

考えて考えて考えて生き続けるのが、後に生まれた人間の宿命なのだ。

それを忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

余談だが物まねの物まねをしてる奴ってこの世で一番寒いと思う。

 

しーゆーあげいん

 

「システム」にならないで

東京に来て早1年。こちらに来てからというもの、お金とは距離をとった生活をさせてもらっている。(7月1日現在、手元・口座合わせて4000円しかない)

 

そんな私の生活の支柱となっているのが、神器・クレジットカードさんである。

私はクレジットカードさんとズブズブの関係を築きながら、日々ギリギリの生活を送らせていただいている。

 

その日も私はクレカさんを握りしめ、下流中流階級のオアシス「西友」さんに、夕飯の食材を買いに向かっていた。

 

その日の献立は「豆腐チャーハン」

フライパンで水を限界まで切った豆腐を崩しながら炒め、ネギやらウインナーやらを加えてさらに炒めることで完成する、米を一切使わずにできるチャーハンだ。

 

そんな豆腐チャーハンの食材をかごに入れレジに向かいお会計を済ませる。合計400円程の買い物であった。

 

私はいつものように店員さんにクレカさんを渡した。その時だった。

 

「ご一括でよろしいですね」

 

という言葉を全て聞き終わる頃には、既に私の400円の支払いは一括で処理されていた。

 

私は呆気にとられていた。呆然とする私を気にも留めることなく、店員さんは流れるように私の商品かごを横にスライドさせ、次の客の会計に移っていた。

 

・・・よくない。これはよくないぞ。

 

その店員さんは「400円なら一括に決まっている」という自己完結の元、有無を言わさず私の会計を一括処理したのであろう。

恐らくそれまでの店員さんの経験上、400円のクレカさんでの支払いを分割で行った経験がなかったのであろう。だからこそあのような一瞬の隙も見せない対応をしたのであろう。

 

これはまずい。あの店員さんは過去の経験にとらわれ自動ログインしてしまっている。思考が抜け落ちてしまっているのだ!まずいぞ、このままではあの店員さんは「システム人間」になってしまう。

 

なんとかしなければ!私が救ってあげなければ!

 

翌日、私は同じようにクレカさんを握りしめ、下流中流階級のオアシス「西友」さんに向かった。しかし、私は昨日の私とは違う。現代社会のうねりに飲み込まれ「システム人間」になってしまう哀れな店員さんを救うのだ!そんな強い意志を持って私は「西友」さんへと足を運んだ。

 

昨日と同じ「豆腐チャーハン」の材料と飲み物などをかごに詰めレジに向かった。

奇しくも昨日と同じ店員さんであった。

 

会計が始まる。合計約500円。すかさず私はクレカさんを差し出す。

間髪入れず店員さんは言う「ご一括で・・・」

 

2回でお願いします。

 

呆気にとられる店員さん。私はもう1度言った。

 

2回でお願いします。

 

 

想像だにしない返答を受け戸惑いながらも、2回での会計を手はずを進める店員さん。

 

やった。やったぞ。私は1人のシステムに捕らわれていた人間を救うことができたのだ

マニュアルに支配され社会の歯車の一部になりかけていた店員さんを、意思を持った1人の人間として自覚させることに私は成功したのだ。

 

そう私は救世主なのだ。ヒーローなのだ。メシアなのだ。

その日の豆腐チャーハンの味は、いつもより何倍も格別であったことを今でも覚えている。

 

前回の記事にも記述していたが、この世に生きる多くの人間は「芥」なのである。しかし、我々ははっきりと自分の意志を持った「芥」なのである。

「芥」であることとに気づかず、自己の意思を知らず間に捨て、ぼんやりを生きている「システム芥」にはなってはいけないのだ。

 

今回の一件で学んだことを私は強く胸に刻み込み、クレカさんの支払いを行うために現金さんを持ち、ATMへと向かった。

 

・・・今月もリボ払いか。